山口県 萩
暑い日が続いていますが如何お過ごしでしょうか。
野望達成の記事もできていないのに次の記事です。
長野県で仕事を3日、一日休んで今度は萩に来ています。
こんな仕事嬉しくてしょうがない。
会社員をやってたときには考えられない移動距離。
たとえ仕事であったとしても飛行機に乗り、電車で移動し、味の違うものを味わえるのは本当に嬉しい!!
後は仕事をちゃんとすること、そうすればまた出張仕事が舞い込んでくるもん!!
野望達成の記事もできていないのに次の記事です。
長野県で仕事を3日、一日休んで今度は萩に来ています。
こんな仕事嬉しくてしょうがない。
会社員をやってたときには考えられない移動距離。
たとえ仕事であったとしても飛行機に乗り、電車で移動し、味の違うものを味わえるのは本当に嬉しい!!
後は仕事をちゃんとすること、そうすればまた出張仕事が舞い込んでくるもん!!
野望達成 ② [バイク]
前回記事の野望達成の続きです。
無事に帰宅出来ました。
重なりますが、バイクを買った時からの野望だったのです。バイクに乗って美術館に行くことが!でも都内の美術館には駐車場があったとしても高く、電車代の方がお安い。
今回福島県立美術館にどうしても行きたかったのは「プライス・コレクション」だったから。
NHKの番組を見てからどうしても伊藤若冲(江戸後期の画家)の絵が見たかったのです。でも、プライスさん(アメリカ在住 江戸絵画の収集家)は東北の震災にあった人達に見せたいということで、東京にはこないのです。
悩んだ挙句、無謀にも一人でバイクに乗って福島まで行くことにしました。
社長には二週間ほど前から休みたいと報告していたら、「明々後日からなら休んでいい」と突然の言い渡し。私の仕事柄こんなもんでスケジュールが決まって行く。
福島まで行くとしたらブレーキパットを交換しないと・・・・もうギリギリな気がすると思っていたのですがバイク屋さんに行く時間がなかなかなくて、福島行き前日にバイク屋さん閉店ギリギリ滑り込みでブレーキパットを交換してもらう。ついでに消耗品のチェックもしてもらって、問題ないとのことでしたので安心です。
福島行き当日朝4時30分起き。チェーンの掃除・オイルの塗布から始める。つくづく準備と言うものが出来ていない・・・・・。
7時自宅出発。雨がサラサラと落ちてくるような気がする・・・・でも見ない!!天気予報は毎日チェックしていて東京も福島もずっと雨予報だった。でも、「私は晴れ女!!」と言い聞かせ私が福島に行けば福島は晴れるのだ!!と思い込む。
現実は出発10分もしないうちに河童着用の為バイクを止める。
それからはずっと河童着用。私は雨女でした。
福島に行くからには、震災の現実を見たいと思っていました。知ったからといってなんになるわけでもないし、私には何も出来ない。行っても高みの見物しかできない。
わかっていても見たい。
バイクに乗りながらも迷いましたが「いわき」に行きました。
よつくら港の道の駅からの眺め
以前はどんな眺めだったのでしょうか?
バイクを走らせていると「東日本震災津波到達地点」という看板がいきなり見えてドキッとしました。実感は全くないし、見える景色は開発中と言われればそうだと思う。
昔ながらの家もあった。でも家はあるけれど広い庭には何も見えない不自然な感じ。庭木が見当たらないのです。海風にさらされて変に変形した樹が数本あったけど。
人はいるし、車も走っている。
TVの中の震災しかわからない自分には、何が違うのだろうと思う。
そのうち「高野病院」の看板が見えた。
「高野病院」は朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載記事に、「震災後、原発が爆発しても動かせない入院患者さんをずっと診ていた病院」として私の記憶に残っている。
高野病院に避難指示があったにも関わらず、動かすことのできない患者さんは動かさなかったことを後々批判されることもあったと勝手に想像する。それでも現在病院として存在していることを知ることが出来てうれしかった。
「高野病院」の看板は綺麗だった。震災後立て直したものだろうか。
お昼をよつくら港の道の駅で食べました。
海鮮丼。
御飯のお酢が私にはちょうど良く美味しかった。
やっぱり外の人の私にはわからない。
いわきには人がいて車があって動いている。そこで生きていこうとしている人達が生きている。多分大変なことが起きても私もここで生きていこうと決めた場所で美味しいものをつくり、働き、生きていくでしょう。
私の頼んだ海鮮丼はいわきで生きていく人の足しになりました?
いわきを出る時、相馬方面に下の道で福島市に入るのか高速を使った方がいいか悩んで、タブレット登場。
こんなこともあろうかと思いタブレットを持ってきました。なんせいわきの地図はあるが福島市の地図までは載っていない地図帳しか持っていなかった。
タブレットだと高速を使う方がいいということで、一気に福島の宿泊地まで行く。
一日雨だったので靴は外も中もビショビショ、ヘルメットの中はしっとり。
靴に新聞紙を詰めに詰め翌日には半乾きまでもっていく。新聞は旅のお供にあった方がいいといつも思う。
翌日は念願の美術館に行く。
いましたよ、若冲!!。
素敵でした。
日本画の生き生きとした線が好きなんです。一本一本の線が無駄なく生きているのが好きなんです。
ふっ!!と息を吐ききって一気に書いたような線をる見るとほれぼれしちゃいます。
多分、自分の優柔不断の性格では描けない線だからでしょう。
筆を入れる場所、色の濃淡、線の太さ細さかすれ・・・計算しているのか、たまたまなのか、楽しんでいるのか。
個人的にはあまり絵のリストとか展示物の内容案内とかそういうもに全く興味が無いが、こうしてブログに書いてみると記憶だけではなんとも書きにくい。
美術館では展示物リストに何かを書きこみながら鑑賞している人を見かけた。こういうことをしていれば、ブログを書くときにとっても役に立つなと思う。
この福島県立美術館には自転車置き場も、バイク置き場も屋根付きであります。
後はひたすら帰宅です。
記録
ブレーキパット交換 15000キロ
福島出発前15009キロ 帰宅時15812キロ
高速代 1万500円
ガソリン代
無事に帰宅出来ました。
重なりますが、バイクを買った時からの野望だったのです。バイクに乗って美術館に行くことが!でも都内の美術館には駐車場があったとしても高く、電車代の方がお安い。
今回福島県立美術館にどうしても行きたかったのは「プライス・コレクション」だったから。
NHKの番組を見てからどうしても伊藤若冲(江戸後期の画家)の絵が見たかったのです。でも、プライスさん(アメリカ在住 江戸絵画の収集家)は東北の震災にあった人達に見せたいということで、東京にはこないのです。
悩んだ挙句、無謀にも一人でバイクに乗って福島まで行くことにしました。
社長には二週間ほど前から休みたいと報告していたら、「明々後日からなら休んでいい」と突然の言い渡し。私の仕事柄こんなもんでスケジュールが決まって行く。
福島まで行くとしたらブレーキパットを交換しないと・・・・もうギリギリな気がすると思っていたのですがバイク屋さんに行く時間がなかなかなくて、福島行き前日にバイク屋さん閉店ギリギリ滑り込みでブレーキパットを交換してもらう。ついでに消耗品のチェックもしてもらって、問題ないとのことでしたので安心です。
福島行き当日朝4時30分起き。チェーンの掃除・オイルの塗布から始める。つくづく準備と言うものが出来ていない・・・・・。
7時自宅出発。雨がサラサラと落ちてくるような気がする・・・・でも見ない!!天気予報は毎日チェックしていて東京も福島もずっと雨予報だった。でも、「私は晴れ女!!」と言い聞かせ私が福島に行けば福島は晴れるのだ!!と思い込む。
現実は出発10分もしないうちに河童着用の為バイクを止める。
それからはずっと河童着用。私は雨女でした。
福島に行くからには、震災の現実を見たいと思っていました。知ったからといってなんになるわけでもないし、私には何も出来ない。行っても高みの見物しかできない。
わかっていても見たい。
バイクに乗りながらも迷いましたが「いわき」に行きました。
よつくら港の道の駅からの眺め
以前はどんな眺めだったのでしょうか?
バイクを走らせていると「東日本震災津波到達地点」という看板がいきなり見えてドキッとしました。実感は全くないし、見える景色は開発中と言われればそうだと思う。
昔ながらの家もあった。でも家はあるけれど広い庭には何も見えない不自然な感じ。庭木が見当たらないのです。海風にさらされて変に変形した樹が数本あったけど。
人はいるし、車も走っている。
TVの中の震災しかわからない自分には、何が違うのだろうと思う。
そのうち「高野病院」の看板が見えた。
「高野病院」は朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載記事に、「震災後、原発が爆発しても動かせない入院患者さんをずっと診ていた病院」として私の記憶に残っている。
高野病院に避難指示があったにも関わらず、動かすことのできない患者さんは動かさなかったことを後々批判されることもあったと勝手に想像する。それでも現在病院として存在していることを知ることが出来てうれしかった。
「高野病院」の看板は綺麗だった。震災後立て直したものだろうか。
お昼をよつくら港の道の駅で食べました。
海鮮丼。
御飯のお酢が私にはちょうど良く美味しかった。
やっぱり外の人の私にはわからない。
いわきには人がいて車があって動いている。そこで生きていこうとしている人達が生きている。多分大変なことが起きても私もここで生きていこうと決めた場所で美味しいものをつくり、働き、生きていくでしょう。
私の頼んだ海鮮丼はいわきで生きていく人の足しになりました?
いわきを出る時、相馬方面に下の道で福島市に入るのか高速を使った方がいいか悩んで、タブレット登場。
こんなこともあろうかと思いタブレットを持ってきました。なんせいわきの地図はあるが福島市の地図までは載っていない地図帳しか持っていなかった。
タブレットだと高速を使う方がいいということで、一気に福島の宿泊地まで行く。
一日雨だったので靴は外も中もビショビショ、ヘルメットの中はしっとり。
靴に新聞紙を詰めに詰め翌日には半乾きまでもっていく。新聞は旅のお供にあった方がいいといつも思う。
翌日は念願の美術館に行く。
いましたよ、若冲!!。
素敵でした。
日本画の生き生きとした線が好きなんです。一本一本の線が無駄なく生きているのが好きなんです。
ふっ!!と息を吐ききって一気に書いたような線をる見るとほれぼれしちゃいます。
多分、自分の優柔不断の性格では描けない線だからでしょう。
筆を入れる場所、色の濃淡、線の太さ細さかすれ・・・計算しているのか、たまたまなのか、楽しんでいるのか。
個人的にはあまり絵のリストとか展示物の内容案内とかそういうもに全く興味が無いが、こうしてブログに書いてみると記憶だけではなんとも書きにくい。
美術館では展示物リストに何かを書きこみながら鑑賞している人を見かけた。こういうことをしていれば、ブログを書くときにとっても役に立つなと思う。
この福島県立美術館には自転車置き場も、バイク置き場も屋根付きであります。
後はひたすら帰宅です。
記録
ブレーキパット交換 15000キロ
福島出発前15009キロ 帰宅時15812キロ
高速代 1万500円
ガソリン代
野望達成
只今、バイクを買った時からの野望、
「美術館にバイクで行く」
を達成。
福島県立美術館に来ています。
そんなもんは近場で安心な都内に沢山あるだろう!
というツッコミは控えてください。
「美術館にバイクで行く」
を達成。
福島県立美術館に来ています。
そんなもんは近場で安心な都内に沢山あるだろう!
というツッコミは控えてください。
タイヤ交換 [バイク]
三週間ほど前に初のタイヤ交換をしてきました。
私の中古で買ったトゥクトゥク(HONDA CB400SS)は3年ほど前に購入。以来何もタイヤには意識がいかず、ラスカルさんの「そろそろタイヤを変えた方がよい」との忠告で交換。
何せ意識が全くないのでタイヤのノウハウも判らず、バイク屋さんに行ってタイヤを見てもチンプンカンプン。
最後はラスカルさんに頼る。
スピード・スターという世田谷にある二輪専門のタイヤ屋さんを教えてもらい、タイヤの種類も教えてもらう。
社長宅の近くにスピード・スターはあり、あらかじめ電話でタイヤの有無の確認をしておいたので仕事帰りに寄って簡単にタイヤ交換出来ました。ちなみに、預り翌日引き取りはあまりやらないそうです。
スピード・スターに到着するとバイク好きの臭いがプンプン臭う人たちがたむろしていて、怖くなりにげだしそうになりまた。
オロオロしている私が突然閃いたのが、「私には現金が無く、タイヤ交換代が払えない」!!
この閃きにそそくさとスピード・スターを出る。本当に身の置き場が無いと感じるこのバイク好き臭。店を出た時はホッとしました。
バイクの作業をしているのを見ているのは楽しいので、見ていたかった気持ちはあるのです。
特に、店員さんが「錆があると思います」と言っていたので気にはなっていたのです。「錆って何?どこにつくの?どうなってるの?」の疑問もあるし。
でも、あのバイク好き臭。近寄りがたい。
結局社長にお金を借りて戻ってきたときには綺麗に仕上がっていました。
以前から聞いていた「新しいタイヤに変えると滑りやすくなっている」ということにビビりながら帰りの道に乗りだす。
店員さんも「帰りはゆっくり、ゆっくり走ってください~~!」と言いながら送り出してくれました。
ブレーキも心なしか早めにかける。
ピョンピョン跳ねるような乗り心地になったように感じましたが、今は気になりません。
緊張してブレーキを早めにかけていた時には気がつかなかったのですが、「ブレーキが良く効く」と感じ始めました。
キュッと効きます。
会社の先輩が「BT45だ~!!グリップ効くだろ~~」と言うのを聞いて、なるほど~~と感心。
先輩はバイク好きです。やっぱりわかるのですね。
タイヤを変えて少し安心してバイクに乗ることが出来るようになりました。
記録
タイヤ交換距離 14700キロ
金額 25500円
私の中古で買ったトゥクトゥク(HONDA CB400SS)は3年ほど前に購入。以来何もタイヤには意識がいかず、ラスカルさんの「そろそろタイヤを変えた方がよい」との忠告で交換。
何せ意識が全くないのでタイヤのノウハウも判らず、バイク屋さんに行ってタイヤを見てもチンプンカンプン。
最後はラスカルさんに頼る。
スピード・スターという世田谷にある二輪専門のタイヤ屋さんを教えてもらい、タイヤの種類も教えてもらう。
社長宅の近くにスピード・スターはあり、あらかじめ電話でタイヤの有無の確認をしておいたので仕事帰りに寄って簡単にタイヤ交換出来ました。ちなみに、預り翌日引き取りはあまりやらないそうです。
スピード・スターに到着するとバイク好きの臭いがプンプン臭う人たちがたむろしていて、怖くなりにげだしそうになりまた。
オロオロしている私が突然閃いたのが、「私には現金が無く、タイヤ交換代が払えない」!!
この閃きにそそくさとスピード・スターを出る。本当に身の置き場が無いと感じるこのバイク好き臭。店を出た時はホッとしました。
バイクの作業をしているのを見ているのは楽しいので、見ていたかった気持ちはあるのです。
特に、店員さんが「錆があると思います」と言っていたので気にはなっていたのです。「錆って何?どこにつくの?どうなってるの?」の疑問もあるし。
でも、あのバイク好き臭。近寄りがたい。
結局社長にお金を借りて戻ってきたときには綺麗に仕上がっていました。
以前から聞いていた「新しいタイヤに変えると滑りやすくなっている」ということにビビりながら帰りの道に乗りだす。
店員さんも「帰りはゆっくり、ゆっくり走ってください~~!」と言いながら送り出してくれました。
ブレーキも心なしか早めにかける。
ピョンピョン跳ねるような乗り心地になったように感じましたが、今は気になりません。
緊張してブレーキを早めにかけていた時には気がつかなかったのですが、「ブレーキが良く効く」と感じ始めました。
キュッと効きます。
会社の先輩が「BT45だ~!!グリップ効くだろ~~」と言うのを聞いて、なるほど~~と感心。
先輩はバイク好きです。やっぱりわかるのですね。
タイヤを変えて少し安心してバイクに乗ることが出来るようになりました。
記録
タイヤ交換距離 14700キロ
金額 25500円
??結局私の問題だった・・・・んだ。
毎日暑い日が続いています。
外仕事の私はUVに負けっぱなしです。日に日に黒くなっています。
さて、前回の記事から二カ月が経ちましたが、一応報告です。
前回に記事の後輩あだ名は「勘違いちゃん」。面倒なのでそう書いていきます。
あの後、勘違いちゃん,社長、先輩と私で相談会と言うか会合と言うか話し合いの機会を無理やり造りだしました。
私は勘違いちゃんに「言い方が悪い」「感じが悪い」「こう言えばいい」「態度が悪い」と何かにつけて言われることが面倒臭くなって会話はしていませんでした。私が勘違いちゃんの言うことを受け入れ、自分を変えていけば現在沢山の人に愛される素敵な人になっていたのかもしれませんがね。
勘違いちゃんは私が会話をしないことを「勘違いのことが嫌いだから」と思っていたようです。(天然の声:正直嫌いです。)
勘違いちゃんに仕事を教えるのは本当に大変でした。勘違いちゃんの為に言葉を選び、変な切り返しに感情を抑え、言い方を考え試行錯誤しながらでないと進まないからです。
勘違いちゃんは、私の苦労を一言「先輩として、親方として後輩一人一人の個性や特性を考えて対応することで後輩は伸びていくのです。」とおっしゃいました。(天然の声:勘弁してください・・・・)
会話を全くしないので私は勘違いちゃんをいないものとして仕事を進めてきたのです。
こういう状況を先輩や社長は困ったもんだと思っていたようですが・・・・改善しようとはあまり考えていなかったようです。
私は人が作業をしている時には「手伝ってほしい」とはほとんど言いません。
私の現場のバラシが遅い時間なのにわざわざ手伝いに来られると緊張する。大した現場ではないのに、しかも残業までさせてバラシを手伝わせるのはもったいないし、私の心が疲れる。
わざわざ人が作業をしている手を止めるとか、時間外なのに手伝わせるとか私にはなかなかできない。人の時間を奪ってまで頼むことではない。申し訳ないし、早く帰った方が体力だって持つ。
勘違いちゃんにも、先輩にもこういうことはよくおもっていなく、無視されたように余計感じたようです。社長からは何度も注意をされていたのですが、なかなか「手伝って」とは言えない。
先輩が言うには、「天然が社外の人としゃべっている方が穏やかで、社内の人としゃべっている方が怖い」そうです。
そうですね。私は会社の人達に受け入れてもらっているとは思っていませんから。楽しく会話が出来るわけではないし、人を笑わせることができないし、人を和ませることもできないし、私はツマラナイ人間なんで楽しく仕事を進めることが出来ないので、会社の人からは自分から離れてしまいます。社外の人の方が気が楽にしゃべれます。
今回のことで、
やっぱり勘違いちゃんは「仕事はおしえてもらって当然、自分から覚えようとする気持ちが薄い」と感じたこと。
先輩とも、勘違いちゃんのことを相談しながら仕事を勧めていこうと思います。
よく人に「心を開いて人と付き合ってね」と言われていましたが、私にはよく判りません。いまだに「心を開く」ということが分からないということがよく判った。
結論、「心を開く」と言うことが私にはまったくわからないということが問題だということ。
外仕事の私はUVに負けっぱなしです。日に日に黒くなっています。
さて、前回の記事から二カ月が経ちましたが、一応報告です。
前回に記事の後輩あだ名は「勘違いちゃん」。面倒なのでそう書いていきます。
あの後、勘違いちゃん,社長、先輩と私で相談会と言うか会合と言うか話し合いの機会を無理やり造りだしました。
私は勘違いちゃんに「言い方が悪い」「感じが悪い」「こう言えばいい」「態度が悪い」と何かにつけて言われることが面倒臭くなって会話はしていませんでした。私が勘違いちゃんの言うことを受け入れ、自分を変えていけば現在沢山の人に愛される素敵な人になっていたのかもしれませんがね。
勘違いちゃんは私が会話をしないことを「勘違いのことが嫌いだから」と思っていたようです。(天然の声:正直嫌いです。)
勘違いちゃんに仕事を教えるのは本当に大変でした。勘違いちゃんの為に言葉を選び、変な切り返しに感情を抑え、言い方を考え試行錯誤しながらでないと進まないからです。
勘違いちゃんは、私の苦労を一言「先輩として、親方として後輩一人一人の個性や特性を考えて対応することで後輩は伸びていくのです。」とおっしゃいました。(天然の声:勘弁してください・・・・)
会話を全くしないので私は勘違いちゃんをいないものとして仕事を進めてきたのです。
こういう状況を先輩や社長は困ったもんだと思っていたようですが・・・・改善しようとはあまり考えていなかったようです。
私は人が作業をしている時には「手伝ってほしい」とはほとんど言いません。
私の現場のバラシが遅い時間なのにわざわざ手伝いに来られると緊張する。大した現場ではないのに、しかも残業までさせてバラシを手伝わせるのはもったいないし、私の心が疲れる。
わざわざ人が作業をしている手を止めるとか、時間外なのに手伝わせるとか私にはなかなかできない。人の時間を奪ってまで頼むことではない。申し訳ないし、早く帰った方が体力だって持つ。
勘違いちゃんにも、先輩にもこういうことはよくおもっていなく、無視されたように余計感じたようです。社長からは何度も注意をされていたのですが、なかなか「手伝って」とは言えない。
先輩が言うには、「天然が社外の人としゃべっている方が穏やかで、社内の人としゃべっている方が怖い」そうです。
そうですね。私は会社の人達に受け入れてもらっているとは思っていませんから。楽しく会話が出来るわけではないし、人を笑わせることができないし、人を和ませることもできないし、私はツマラナイ人間なんで楽しく仕事を進めることが出来ないので、会社の人からは自分から離れてしまいます。社外の人の方が気が楽にしゃべれます。
今回のことで、
やっぱり勘違いちゃんは「仕事はおしえてもらって当然、自分から覚えようとする気持ちが薄い」と感じたこと。
先輩とも、勘違いちゃんのことを相談しながら仕事を勧めていこうと思います。
よく人に「心を開いて人と付き合ってね」と言われていましたが、私にはよく判りません。いまだに「心を開く」ということが分からないということがよく判った。
結論、「心を開く」と言うことが私にはまったくわからないということが問題だということ。
人は褒めて伸びるのか?
今朝起きて一番の疑問。
人はよく「褒められて伸びる」と言うけれど、本当か?
かなり本気で悩んでます。このブログ読んでくれた方教えてください。
私の仕事は植木屋さん。加えてとっても少人数の会社なので、仕事が重なった時に一つの現場を一人で取り仕切ることが出来るようになることが理想。
先日後輩に仕事を任せたら、現場で仕事を放棄した。
先輩が「後輩の判断が遅く仕事が前に進まない」と判断したので、先輩が仕切り始めたらふてくされて仕事を放棄。
後輩は働き始めた当時「私は褒められて伸びるタイプ」と公言。
確かに後輩の作った売り物にならない寄鉢、クライアントの意向を全く無視した植木の選び方、植木の飾り方を社長は褒めていた。
でも結果は仕事を放棄。
社長は褒めているけど、寄鉢のセンス、植木を選ぶセンス、飾るセンスはちっとも向上しない。
社長、先輩はアドバイスをしている、でも全く向上しない。
現場でデザイナーさんに何回もやり直しを命じられ、でも出来なくてデザイナーさん自身が植木を飾ったこともある。でもその後、向上しようという意欲や行動が無い。私だったら悔しくて、「次は絶対このデザイナーさんに一発OKもらってやる!!」と心に誓い、社長や先輩に植木の飾り方を教えてもらったり、写真に撮っておいて資料にしたりして自分との違いを確認する。
私自身は現場を任せずアシスタントのままでいいと思っています。
ただ、最近アシスタントの仕事も上手くいっていないようで・・・・
本当に「人は褒めると伸びる」のか??
後輩の場合、褒めるとそれでいいと勘違い、向上無し。
最近アシスタントで現場に行くこともできなくてふてくされいる。
社長、先輩には猫なで声で接し、現場に行かないで植木に水やりをしているおじさんには高飛車な態度。これって完全に勘違いだと思う。
私は完全に放っています。だから褒めないし、駄目も出さない。
本人がヤル気を出さないと何にも向上しないと思っているから。
でも社長や先輩が困っているのは確か。
本当に「人は褒めれば伸びる」のか???
人はよく「褒められて伸びる」と言うけれど、本当か?
かなり本気で悩んでます。このブログ読んでくれた方教えてください。
私の仕事は植木屋さん。加えてとっても少人数の会社なので、仕事が重なった時に一つの現場を一人で取り仕切ることが出来るようになることが理想。
先日後輩に仕事を任せたら、現場で仕事を放棄した。
先輩が「後輩の判断が遅く仕事が前に進まない」と判断したので、先輩が仕切り始めたらふてくされて仕事を放棄。
後輩は働き始めた当時「私は褒められて伸びるタイプ」と公言。
確かに後輩の作った売り物にならない寄鉢、クライアントの意向を全く無視した植木の選び方、植木の飾り方を社長は褒めていた。
でも結果は仕事を放棄。
社長は褒めているけど、寄鉢のセンス、植木を選ぶセンス、飾るセンスはちっとも向上しない。
社長、先輩はアドバイスをしている、でも全く向上しない。
現場でデザイナーさんに何回もやり直しを命じられ、でも出来なくてデザイナーさん自身が植木を飾ったこともある。でもその後、向上しようという意欲や行動が無い。私だったら悔しくて、「次は絶対このデザイナーさんに一発OKもらってやる!!」と心に誓い、社長や先輩に植木の飾り方を教えてもらったり、写真に撮っておいて資料にしたりして自分との違いを確認する。
私自身は現場を任せずアシスタントのままでいいと思っています。
ただ、最近アシスタントの仕事も上手くいっていないようで・・・・
本当に「人は褒めると伸びる」のか??
後輩の場合、褒めるとそれでいいと勘違い、向上無し。
最近アシスタントで現場に行くこともできなくてふてくされいる。
社長、先輩には猫なで声で接し、現場に行かないで植木に水やりをしているおじさんには高飛車な態度。これって完全に勘違いだと思う。
私は完全に放っています。だから褒めないし、駄目も出さない。
本人がヤル気を出さないと何にも向上しないと思っているから。
でも社長や先輩が困っているのは確か。
本当に「人は褒めれば伸びる」のか???
ノンキなのでは?
ゴールデンウィーク、私は勤務。
29日の朝会社に行く為駅に向かっていたら、御髪の白い服装も白い人が前のめりになり足がもつれながら路地から出てきた。
縋るものを求めるように橋の欄干にしがみ付き、それでも前に前に行こうとする。
橋を渡りきってしまい縋り付くものが無い状態で前のめりになり、足をもたつかせフラフラと前に前に行く。
私が「大丈夫ですか?」と声をかけると道路に座り込んでしまった。
高齢のご婦人で、パジャマに部屋着を羽織り、小さなバックを肩から掛けていた。
「もう歩けない」と「寒い」を繰り返し言うだけ。私の「病院に行きますか?」という質問には全く答えない。
ご婦人が肩から掛けているバックの中には何か住所のようなもの、連絡先が分かるようなものが入っているのかもしれないと思いながらどうしても開けることは出来ませんでした。
困った私は救急車を呼びました。
救急隊員は少し慌てている様子で住所の確認を何度もする。たまたま表札に住所が明記されている家の前だったので場所は只一つ、分かりやすいと思うが何度も確認された。この時の時間は7時7分。
その後通りがかりの人が集まってきて倒れ込んだご婦人が救急車に乗るまで見ていてくださるということで私はその場を離れてしまいました。
7時14分、救急隊員から電話があり「最寄りの消防署には救急車が無いので隣町から出ます」とのこと。
この時になってご婦人の様子を聞かれた「怪我しているのか?」とか「名前は?」とか。ご婦人は何も私の質問には答えず「もう歩けない」と「寒い」を繰り返して言っていることを伝え、特に出血するような怪我はしていないし、手は冷たいので高熱があるわけではなさそうだと伝えた。
7時39分、救急隊員から「ご婦人は無事救急車にのりこんだ」と連絡があった。
救急車が到着するまで30分以上。
チョット、救急隊員ノンキなのでは??
以前救急車を頼んだ時はとってもテキパキしていた記憶が・・・・。
今回の救急隊員新人さんか?電話に出てくれた人も駆けつけた人も。
大怪我しているわけでもないし、息も絶え絶えの状態でもないし、大騒ぎしているわけでもないので多少遅れたって大事に至るわけでもないし良いんだけどね。
もし新人さんだったら「ゴールデンウィーク出勤お疲れ様!!早くテキパキした対応が出来るようになってね!!」
29日の朝会社に行く為駅に向かっていたら、御髪の白い服装も白い人が前のめりになり足がもつれながら路地から出てきた。
縋るものを求めるように橋の欄干にしがみ付き、それでも前に前に行こうとする。
橋を渡りきってしまい縋り付くものが無い状態で前のめりになり、足をもたつかせフラフラと前に前に行く。
私が「大丈夫ですか?」と声をかけると道路に座り込んでしまった。
高齢のご婦人で、パジャマに部屋着を羽織り、小さなバックを肩から掛けていた。
「もう歩けない」と「寒い」を繰り返し言うだけ。私の「病院に行きますか?」という質問には全く答えない。
ご婦人が肩から掛けているバックの中には何か住所のようなもの、連絡先が分かるようなものが入っているのかもしれないと思いながらどうしても開けることは出来ませんでした。
困った私は救急車を呼びました。
救急隊員は少し慌てている様子で住所の確認を何度もする。たまたま表札に住所が明記されている家の前だったので場所は只一つ、分かりやすいと思うが何度も確認された。この時の時間は7時7分。
その後通りがかりの人が集まってきて倒れ込んだご婦人が救急車に乗るまで見ていてくださるということで私はその場を離れてしまいました。
7時14分、救急隊員から電話があり「最寄りの消防署には救急車が無いので隣町から出ます」とのこと。
この時になってご婦人の様子を聞かれた「怪我しているのか?」とか「名前は?」とか。ご婦人は何も私の質問には答えず「もう歩けない」と「寒い」を繰り返して言っていることを伝え、特に出血するような怪我はしていないし、手は冷たいので高熱があるわけではなさそうだと伝えた。
7時39分、救急隊員から「ご婦人は無事救急車にのりこんだ」と連絡があった。
救急車が到着するまで30分以上。
チョット、救急隊員ノンキなのでは??
以前救急車を頼んだ時はとってもテキパキしていた記憶が・・・・。
今回の救急隊員新人さんか?電話に出てくれた人も駆けつけた人も。
大怪我しているわけでもないし、息も絶え絶えの状態でもないし、大騒ぎしているわけでもないので多少遅れたって大事に至るわけでもないし良いんだけどね。
もし新人さんだったら「ゴールデンウィーク出勤お疲れ様!!早くテキパキした対応が出来るようになってね!!」
タブレットから
今日は久々のスタジオ仕事です。
ということで、初タブレットから投稿です。
あまりにも久方過ぎてお弁当が美味しく感じてしまいました。
タレントさん只今メイク中に投稿。
ということで、初タブレットから投稿です。
あまりにも久方過ぎてお弁当が美味しく感じてしまいました。
タレントさん只今メイク中に投稿。
知る必要なんかないけどさ
珍しく、短期間での更新です。
私の会社の5歳年下の女子?から。あだ名は「勘違いちゃん」
私は田舎の男尊女卑の家で育ちました。歳は40超えてます。ペットボトルのお茶なんて高校生で初めて飲んだような・・・・記憶が・・・・。
なのでお茶を入れることは出来ます。
勘違いちゃんはお茶もろくに入れることが出来ない。5歳しか違わないのに・・・・。ちゃんと大人になるまでは両親健在、おばあちゃんと共に住み、ペットボトルのお茶だって小学生後半で出会っただろう。
お母さんや、おばあちゃんと一緒に住んでいて、お茶の入れ方なんていくらでも教わることが出来る環境なんじゃないかと思う。
話を聞くと親戚付き合いだって悪くないようなので、親戚の方々が来た時にお茶を入れるチャンスだってあったと思う。そんな時にお茶の入れ方くらい教わるチャンスはあったと思う。
でも出来ていない。
私はかわいそうだと感じました。
今はペットボトル飲料があるのでお客様がいらした時にペットボトルの飲み物をそのまま出してもいいし、コップに注いで出してもいい。
だからお茶の入れ方なんて知る必要がない。
でも、教わる環境がありながら、教えられる人がいる環境で育ちながら「知らない」ということがかわいそうだと感じるのです。
本人が知る必要がないと感じているのかもしれないけれど。
会社で美味しいお茶の葉を頂いたのです。
そんな時に美味しくお茶を入れることが出来ないのは悲しいと思います。
会社の人達と美味しいお茶を味わいながら、楽しく過ごしたいじゃないですか。
勘違いちゃんにはお茶の入れ方くらい私が教えます。
私の会社の5歳年下の女子?から。あだ名は「勘違いちゃん」
私は田舎の男尊女卑の家で育ちました。歳は40超えてます。ペットボトルのお茶なんて高校生で初めて飲んだような・・・・記憶が・・・・。
なのでお茶を入れることは出来ます。
勘違いちゃんはお茶もろくに入れることが出来ない。5歳しか違わないのに・・・・。ちゃんと大人になるまでは両親健在、おばあちゃんと共に住み、ペットボトルのお茶だって小学生後半で出会っただろう。
お母さんや、おばあちゃんと一緒に住んでいて、お茶の入れ方なんていくらでも教わることが出来る環境なんじゃないかと思う。
話を聞くと親戚付き合いだって悪くないようなので、親戚の方々が来た時にお茶を入れるチャンスだってあったと思う。そんな時にお茶の入れ方くらい教わるチャンスはあったと思う。
でも出来ていない。
私はかわいそうだと感じました。
今はペットボトル飲料があるのでお客様がいらした時にペットボトルの飲み物をそのまま出してもいいし、コップに注いで出してもいい。
だからお茶の入れ方なんて知る必要がない。
でも、教わる環境がありながら、教えられる人がいる環境で育ちながら「知らない」ということがかわいそうだと感じるのです。
本人が知る必要がないと感じているのかもしれないけれど。
会社で美味しいお茶の葉を頂いたのです。
そんな時に美味しくお茶を入れることが出来ないのは悲しいと思います。
会社の人達と美味しいお茶を味わいながら、楽しく過ごしたいじゃないですか。
勘違いちゃんにはお茶の入れ方くらい私が教えます。
芹
訪問してくださった方々ありがとうございます。
とうとうNICE!が200に達しました。ありがとうございました!! これからもよろしくお願いします。
桜も満開、春も満開、足元の春も満開で大好きな芹を収穫しました。
芹のありかは、会社の大家さんの庭とだけお教えしておきます。
最近買ったタブレットでレシピ検索した「芹の天ぷ」らをどうしても食べたかったので天ぷらです。
それと、芹と油揚げの煮物。
とっても美味しかったです!!それから、会社の人に芹の卵とじを食べてもらいましたが大好評でした!!
いや~~、春の味を満喫しました!!